労働者に対する安全配慮義務を履行するため、会社は労働者の心身の状態に関する情報を適正に収集し活用する必要があります。一方で、「要配慮個人情報」として慎重な取り扱いも求められます。
第62条(労働者の心身の状態に関する情報の適正な取扱い)
事業者は労働者の心身の状態に関する情報を適正に取り扱う。
条文の目的・存在理由
労働者の心身の状態に関する情報の適正な取扱いについては、労働安全衛生法第104条に規定されています。
この規定は相対的必要記載事項であり記載は必須ではありませんが、労働者に周知すべき事項として記載した方が良いでしょう。
労働者の心身の状態に関する情報の性質について
会社は、労働者の健康確保措置を実施するだけでなく、安全配慮義務を履行しなければいけません。
そのため、労働者の心身の状態に関する情報を、会社は適正に収集し活用する必要があります。
一方で、労働者の心身の状態に関する情報のほとんどは、個人情報保護法上の「要配慮個人情報」に該当します。
このような情報の性質から、厚生労働省は下記のように指針を示しています。太字化は筆者による。
「事業場において、労働者が雇用管理において自身にとって不利益な取扱いを受け るという不安を抱くことなく、安心して産業医等による健康相談等を受けられるようにするとともに、事業者が必要な心身の状態の情報を収集して、労働者の健康確保措置を十全に行えるようにするためには、関係法令に則った上で、心身の状態の情報が適切に取り扱われることが必要であることから、事業者が、当該事業場における心身の状態の情報の適正な取扱いのための規程を策定することによる当該取扱いの明確化が必要である」
「労働者の心身の状態に関する情報の適正な取扱いのために事業者が講ずべき措置に関する指針」 https://www.mhlw.go.jp/content/000350672.pdf
労働者の健康情報等の取扱規程を策定するには
取扱規程は、労使間の協議により策定される必要があります。
また、事業場の業務内容等に応じて「健康確保措置の実施」や「安全配慮義務の履行」の具体的内容と、下記項目を取扱規程に記載しなければいけません。
(1)健康情報等を取り扱う目的及び取扱方法
(2)健康情報等を取り扱う者及びその権限並びに取り扱う健康情報等の範囲
(3)健康情報等を取り扱う目的等の通知方法及び本人の同意取得
(4)健康情報等の適正管理の方法
(5)健康情報等の開示、訂正等の方法
(6)健康情報等の第三者提供の方法
(7)事業承継、組織変更に伴う健康情報等の引継ぎに関する事項
(8)健康情報等の取扱いに関する苦情処理
(9)取扱規程の労働者への周知の方法
厚生労働省が手引きを公表しています。参考にしながら策定していくと良いでしょう。
「事業場における労働者の健康情報等の取扱規程を策定するための手引き」
https://www.iwates.johas.go.jp/wp/wp-content/uploads/2019/04/69e8e3d37351f59c23df9bf6a67c4735.pdf
リスク
リスクはありませんが、詳細は健康情報等の取扱規程に委任する旨を記載した方が良いでしょう。
改善案
第60条(労働者の心身の状態に関する情報の適正な取扱い)
事業者は、労働者の心身の状態に関する情報を適正に取り扱うために、健康情報等の取扱規程を定め、運用する。
参考判例
社会医療法人T会事件 福岡高判 平成27年1月29日
事件概要
看護師A(原告)は、勤務先病院の紹介で他病院での血液検査を受けた。そして検査結果によりHIV陽性と診断された。
看護師Aは標準的な感染対策をすれば問題ないと判断し、勤務先病院に診断結果を伝えず通常通り出勤した。
しかし診断した他病院の医師は看護師Aの同意を得ずに、看護師Aの勤務先病院医師Bに診断結果を伝えた。
医師Bは、副院長に診断結果を伝え、その後院長や看護師長Cにも診断結果が伝わった。
その後、副院長らは院内感染対策を検討し,当該看護師を当面の間休ませる方針を決定した。看護師長は看護部長や事務長にも診断結果を伝えていた。
看護師Aは、就労制限の指示により、欠勤を続け、その後退職した。
看護師Aは、医師Bらが、本人の同意なく診断結果を他の職員らと情報共有をしたことは個人情報保護法16条1項、23条1項に反し、プライバシーを侵害する不法行為に当たるとして提訴し、損害賠償(約1,000万円)を請求した事件。
第一審では看護師Aの主張が一部認められ、社会医療法人Tに対し約100万円の損害賠償の支払いが命じられました。
*病院が感染を理由に就労制限したことも不法行為に当たるとして、看護師Aは提訴しています。ここでは個人情報保護と関連性が低いため割愛します。
就業規則との関係において
第二審でも、概ね第一審の判決内容に沿った判決となり、社会医療法人T会に対し約60万円の損害賠償の支払いが命じられました。
判決のポイントは下記4点です。個人情報保護法違反が必ずしもプライバシー侵害に当たるわけではないため、下記②③のように別々に判断しています。
①今回問題となった行為は、同一事業所内における情報共有であるため、個人情報保護法第23条1項(第三者提供の制限)違反ではない。
②今回の診断結果は、診察目的の範囲内で利用されるべきものである。
そのため本件情報を労務管理目的で使用したことは個人情報保護法第16条1項が禁止する目的外利用にあたる。
したがって本人の同意を事前に得ない限りは許されない行為である。
③今回の診断結果は、一般的に他人に知られたくない個人情報である。
したがって本人の同意を得ないまま、今回の診断結果を違法に取り扱った場合には、特段の事由がない限り、プライバシー侵害に当たる。
④個人情報保護法第16条3項2号では、本人の同意を得ることが困難である場合に同意を得ない目的外利用が許されると規定している。
しかし今回の事案では、同意を得る努力を一切せずに、情報共有したため違法である。
病院という施設の性質に鑑みると、今回の診断結果は、必要最小限の人数の間で共有される必要があるとも考えられます。
難しい問題ではありますが、この判例から導き出す教訓は下記の2点でしょう。
①労働者の心身に関する情報は、取扱に際し細心の注意を払わなければならない。そのため規程を定め、かつルールを労働者に周知徹底する。
②事前に本人の同意を得ずに労働者の心身に関する情報を取得できるケースは極めて例外的である。このことを労働者に意識づけする。
個人情報の保護に関する法律(個人情報保護法)
第16条1項(利用目的による制限)
個人情報取扱事業者は、あらかじめ本人の同意を得ないで、前条の規定により特定された利用目的の達成に必要な範囲を超えて、個人情報を取り扱ってはならない。
第16条3項2号
前二項の規定は、次に掲げる場合については、適用しない。
②人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき。
第23条1項(第三者提供の制限)
個人情報取扱事業者は、次に掲げる場合を除くほか、あらかじめ本人の同意を得ないで、個人データを第三者に提供してはならない。
①法令に基づく場合
②人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき。
③公衆衛生の向上又は児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき。
④国の機関若しくは地方公共団体又はその委託を受けた者が法令の定める事務を遂行することに対して協力する必要がある場合であって、本人の同意を得ることにより当該事務の遂行に支障を及ぼすおそれがあるとき。
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